日帰り旅行
こんばんは、haruです。明日は千代さんの退院日です。帰ってきたら、また、なかなか出かけたりも難しくなる。なので、昨日、日帰り旅行に行ってきました。
旅行といっても、お隣の埼玉県秩父郡の長瀞ですから、高速道路を使って、一時間ちょっとくらい。意外と近いことにびっくりでした。
なぜ長瀞へ行ったのかというと、息子がドラえもんを観ていて、スネ夫が食べてる「流しそうめん」を食べてみたいと言ったから(笑)
「流しそうめん」で検索したら、近くてよさげなところが長瀞でした。
もうひとつ、ちょうど、テレビ番組で特集をしていて、「秩父赤壁」なるものがあると知ったから。私、実は三国志が大好きで、「赤壁」と聞いただけで、猛烈に行きたくなった。(息子と同レベル)
ライン下りで、船頭さんの面白いお話しを聞きながら見た赤壁は、ほんと感動モノでした。赤壁をスクリーンに、映画を上映したこともあるそうです。すごいよね。
次は、西日で赤く染まったところを見てみたいな・・・。
さて、息子が楽しみにしていた流しそうめんは、テレビでも紹介されていた「長生館」でいただきました。
番組の影響か、都心からも近く観光客が多いせいか、お昼時間を外して行ったのに、それでも二時間待ちくらい。
でもね、楽しみにしていた息子は、ちゃんといい子で待ってました。(私の方が、何度も心折れそうになりました。)
いっぱい遊んで、いっぱい待って、お腹もペコペコ。そこからの流しそうめんは、かなり美味しかったです。息子も、今まで見たことないくらいに、がっついて食べていました。
もともと、私、あんまり好んでそうめんを食べることはないのですが、昨日は食べたなぁ。主婦だし、食べ放題に弱いのか?女だし、雰囲気にも弱い?
心残りは、そうめんの食べすぎで、その後に食べようと思っていた、「かき氷」を食べられなかったこと。
うーん、残念・・・。今度は、かき氷食べたい。絶対に食べたい。(行列にも弱い私(笑))
こんな感じで、まる一日、楽しく遊んできました。たまにはこんなこともないとね!久しぶりのお休みだったのに、家族サービスをしてくれた主人に感謝です。
さ、明日からまた頑張ろう。
退院の日が決まりました
こんにちは、haruです。千代さんの退院が決まりました。というか、「決まっていたのを、やっと主人の口から聞き出せた」と言った方が正しいかもしれません。
昨日と今日の一泊二日で、最後の外泊練習を行いました。お迎えに行った主人に、「退院について何か聞いた?」と尋ねたところ、「あ、火曜日だって。」だってさ。
いくらなんでも急すぎる。きっと、もっと前に聞いていたけれど、私には言えずにいたのだろうと思います。
で、今日、送りに行った時、ワーカーさんに、精神疾患について強いケアマネ知りませんか?と聞いてもらったのですが、となりの市にある病院のワーカーさんだからか、「ちょっとわからないので、地域包括で聞いてもらえませんか?」とのお答え。
私が、相談に行きたいと言っていたということを伝えても、「電話なら、今日でも大丈夫ですよ。」と、いかにも、来ないでくれ的なお返事。
そういえば、前の入院の時のワーカーさんも、「お忙しいでしょうし、わざわざ来ていただかなくても、電話で承りますよ。」みたいな感じだったんですよねー・・・。
県立の病院だからでしょうか。ここも、お役所仕事だ。
こりゃ、包括に聞いたほうが早そうだと、包括に連絡しました。包括には何度か足を運んだり、他の場所で話し合いをしたりと繋がってはいましたから、話はサクサク進みました。
包括から、ワーカーさんの方へ連絡し、どういった状態かや、この先のことについて等を聞き、申し送り的なことをして、退院後、うちで千代さんと面談、といった流れになりそうです。
少しずつですが、進んでいるかな。
肝心の千代さんですが、相変わらず、やっぱり千代さんでした(笑)
水の多飲が原因で、今回の入院があったと思っているのか、みんなで話し合った時に、「ペットボトルの水しか飲まないので、逆に、どれだけ飲んでいるのかがすぐにわかる。」みたいなことを私が言ったからか、全ての外泊において、ペットボトルの水に手をつけることはありませんでした。
1日に4~8ℓの水を飲んでいた人が、極端でしょ?白か黒か、1か100か、って感じ。昨日なんか、ここらは37℃くらいの暑さだったんですよ。こういう時は飲んでくれーって思いますが、そういう思考の修正は出来ないみたいです。
水は、お薬を飲むときしか飲んでいないんじゃないかな。しかも、「苦いから水道水は嫌だ。」とあれだけ言っていたのに、水道水でお薬も飲むようになりました。
これじゃあ、どれだけ飲んでるかわかんないじゃないの!
もしかして、知らないだけで、水道水をガバガバ飲んでたりして。わかんないよね。(想像したらちょっと怖い(笑))
そして、やっぱり意地悪だ。
息子が幼稚園から帰ってきて、プールのタオルや水着、制服やお手拭き、エプロンなんかを洗濯機に入れ回した途端、「haruさん、洗濯したいんだけど。」って言ってきた。
どうしてこのタイミング?
「待てない」のか、「意地悪」なのか、どっちなんだろう?
どっちにしろやっかいだ。
洗濯だけじゃなく、色んな場面でこういうことが起こります。ちょっとしたことだけど、日常の色んな場面で起こると、ものすごいストレスになります。
ここで吐き出して、バランスとっていけたらいいな。
障害と介護
こんばんは、haruです。要支援1という結果を受けて、社協や福祉センターへ相談に行ってきました。
要支援1だと、デイサービスだと週に1回くらいの支援になります。これじゃあ、私が仕事に行くには足りません。
ですから、障害の方からもサービスを受けたい。障害程度区分の申請が出来ないかを、確認したかったのです。
あんまり期待はしていなかったけれど、予想通り。ダメでした。
①65歳になる前に程度区分の申請をして、障害からのサービスを受けていなかったことがひとつ。(もし、それが出来ていたなら、障害と介護の両方、バランスをとりながらのサービスになったらしい。)障害のサービスを受けていない方で、老後が心配な方、今のうちに(65歳になる前に)、区分申請をしておくことをお勧めします。
②年齢が65歳以上だと、やはり、介護サービス優先だからというのがひとつ。65歳以上で程度区分の申請をするためには、要介護4以上でなければいけないんだって。要介護4だなんて、身体的に自立している間は、絶対無理ってことです。だいたい、要介護4だったら、わざわざ区分申請しなくたって、介護からのサービスだけで十分やっていける。よくわからない制度ですね。
③独居でないこと。もし、独居で、尚且つ、近くにケアをしてくれる家族がいない人だったら、これはまた、特例になるらしい。思わず、「だったら、別居すればオッケーってことですか?」って聞いてしまった(笑)
④介護認定自体が厳しくなったから。(要介護の人でも、3→2、2→1など、認定が軽くなってる方が多い。)もう、国が、面倒みきれませんよって言ってるのでしょう。
姥捨て山は、施設じゃなくて、家になったってことです。
やばい、八方ふさがりだ。
前に働いていた事務所の先輩に、電話して相談してみました。やはり、介護認定が厳しくなっていると言ってましたね。
ワーカーさんに相談して、精神疾患に強いケアマネを紹介してもらって、主治医、ワーカーさん、ケアマネ、みんなを味方につけて、強く役所にプッシュしてもらわないといけないってアドバイスをいただきました。
私の実家がある自治体は、とてもサービスが手厚いところです。役所に強い事務所もありますし、役所自体の融通もきく感じ。なので、「うちの事務所から出せば、要介護3にしてあげるのに。帰っておいで。」って言ってましたね。自治体によって、全然違うのです。
出来ることから始めよう。週1のデイサービスでもいいから、とにかく介護サービスを開始しなくちゃ。まずはケアマネ探しですね。
負けるもんか。
認定調査の結果と夫婦喧嘩
こんばんは、haru です。
認定調査の結果が出ました。前回と同じ、要支援1。これじゃあ、ほとんど支援は期待出来ません。区分申請してみたら、少しは変わるのかな。
最初の外泊練習の時、主治医、ソーシャルワーカー、担当看護師が同行してきて、家族と千代さんみんなで話をしたと、過去の記事にも書きました。
その時にも、認定調査について話をしたのですが、今の主治医は、「こういったリスクがありますとか、意見書に付けて出しますから、前みたいに要支援1ってことはないんじゃないかな。」って言ってたんですけどね。
主人も、今までのエピソードを打ち出して提出しましたし、ちょっとは違うかなって思っていました。
そもそも、64歳までは、障害で支援を受けられるのに、どうして65歳を過ぎると、介護からじゃなきゃだめなのか?
精神障害で起こる症状や問題で困っているのに、どうして介護認定の調査が基準になるのか?
そんなの、身長を体重計で測るようなものだ。お役所のお仕事ってなんなんだ?って思います。あなたの家族に起こっていることだったらどうしますか?それでも納得しますか?って聞きたい。
この結果のせいで、色んな納得出来てないことが、またムクムクと出てきて、夫婦喧嘩になりました。私は女ですしね。昔のことを蒸し返しますよ。そりゃもう、ぐちぐちぐちぐち。
「恨み節を言うな。」と言った主人。切れた私。
みんながそれぞれに、自分のやるべき事をしていれば、どこにもストレスが溜まったりしないし、問題の解決も早いでしょ。
やるべきこともせず、問題を問題とも思わず、すべてを先送りにし、押し付けやすいところに押し付けて、そんなだから恨み節だって言いたくなる。
だいたい、主人と義兄、兄弟なのに、どうして言いたいことを言わないわけ?何にも協力しないことにムカつかないの?
両親の入院や手術の連絡をしても、なんの返事もよこさない。これって普通?
いや、なんの返事もなかったのならまだいい。先月の中旬、主人の誕生日に、「誕生日おめでとう!」というメールがあったそう。
ナニソレ?
「ありがとう。」と返した主人も大バカだ。
怒ったってなにも変わらないと主人は言うけれど、怒ってみないとわからないじゃないの。
千代さんと義兄に翻弄されっぱなしです。いつも、喧嘩の原因は二人のこと。バカみたいだよね。
先週の外泊練習でのこと
こんばんは、haruです。先週の外泊練習でのことを、少し書いておこうと思います。
帰ってきてすぐ、「haruさ~ん、お母さんが帰ってきたよ~!!」と、テンション高め。ちょっとやな感じだ。完全に、躁よりの話し方じゃないの。
「お母さんが持っていってるボディソープ(主人が用意したもの)、泡が立たないんだけどどうしてかね?」と、泡立たないことが気になるらしい。いや、気に入らないらしい。
そういえば、前回の外泊の時も言ってたなぁ。入院の用意の時、容器に詰めたのは主人。もしかしたら、間違ってトリートメントでも入れたのかね?と話していたのですが、その時は、千代さん、自分で容器に継ぎ足してたし、これで大丈夫だと思っていたのです。
でも、まだ泡立たないらしい。「他のみんなは泡立ってるのに、お母さんのだけ泡立たないから嫌だ。」と、強く訴えてきました。
そこで、百均から、泡になるポンプを買ってきて渡したのだけど、それでもまだ納得がいかないらしい。
これでもか!と、洗身タオルを買ってきて渡しました。病院じゃ、普通のタオル使ってたみたいだから。
泡になるポンプ+洗身タオルを持ってお風呂場へ行き、確認してきた千代さん。ここで、やっと納得したっぽい。これで大丈夫かな。
こんな感じで、一つ気になることがあると、納得するまでしつこく訴えてきます。私が何をしていても、何度も何度も言いにきます。いきなり部屋に現れます。(ノックなし)
また、こんな毎日が来るのかと思うと、どんより・・・。疲れたよ。
もう一つ、お薬の副作用だと思うのですが、立っている時にじっとしていられないようで、ずっと足踏みしてたなぁー。(アカシジアだと思う)
入院する前にも、足がムズムズしておかしくなりそうだと言ってたけど、お薬の調整、上手くいっていないんだろうか?
こんな状態でも、退院ってある?まだ、認定調査の結果もきていないんだけどな。
今度の予定については、怖くて聞いてません。主人は知ってるのかな?それも聞いてません。
心の準備、しておいた方がいいのか、逃げられない状態になる方がいいのか、自分で、まだ判断つかずです。困った。
あらためて気が付いたこと
こんばんは、haruです。昨日の午後から金曜の午後までの二泊三日、千代さん、外泊練習です。おそらく、これが最後で、うまくいけば退院へ、となるでしょうね。
退院が近づいたのもありますが、それだけじゃなくて、義父の所にご飯を持って行ったり、入退院時の付き添いや、手術当日の付き添いなんかしてて、あらためて気が付いたことがあります。
主人と義兄は、千代さんだけでなく、義父とも色々あったらしく、両親のどちらとも、積極的に関わろうとはしません。
でも、私は、一緒に住んでいないせいもありますが、義父との間にもめ事なんか一度もない。
もちろん、千代さんから受けたような暴言や、人格を否定されるようなことを言われたりもしていません。
むしろ、息子と私、いつも良くしてもらっています。「ありがとう。」「ごめんね。」「大変だね。」など、優しい言葉もかけてくれる。
ですから、義父と一緒にいるのは、全然気も使わないし楽。疲れないか?っていうと、そりゃあまあ疲れますが、それでも、千代さんといる時のそれとは全く違います。
千代さんと義父。どちらも主人の親なんだけど、やっぱり、色々とあった千代さんと一緒にいて、さらにお世話をするというのは、相当強いメンタルがいるんだなぁーって実感・・・。
こうやって、負の記憶を反芻してしまうから良くないのだけど、忘れるなんて無理だ。忘れるためには、物理的距離が必要なのだと思います。
正を知ってしまったせいで、負がとっても辛いです。嫌だ嫌だ嫌だー。
義父の手術と義兄について
こんばんは、haruです。前回の記事にちょろっと書いた、義父の手術が終わりました。今の医療はすごいですね。もう、退院もしましたよ。
ここ半年くらいの間かな。車で10分くらいのところに住んでいるお義父さんの具合があんまり良くありませんでした。
「足が震えて動けない。」と、主人の携帯に連絡があったり、震え出すと心臓があおられて眠れなくて、自分で救急車を呼んで病院へ行ったり・・・。
一度、私が神経内科へ連れていって、頭を診てもらったのだけど、軽い脳梗塞はあるものの、それが原因とは考えにくいってことで、湿布だけもらって帰ってきたり・・・。
その後も、症状は消えることなく、救急車で行った病院でヘルニアの検査をしたり、自宅近くの外科に行ったり・・・。
義父も諦めずに病院をまわりました。(この頃、主人は、身体の歪みとかが原因だろうと、あまり心配していなかった。)
最後に行った外科で、「前立腺癌」かもしれないと言われ、もう一度、救急車で行った大きな病院で検査を受けました。
すると、やはり前立腺癌。
不調の原因がわからないのは気持ち悪いからと、複数の病院をまわってくれた義父に感謝です。
ただね、かなり進行はしていて、ステージd。リンパ節や骨への転移も見られたので、前立腺の癌自体の摘除は、することが出来ませんでした。
前立腺癌は、男性ホルモンを栄養としているらしく、それをストップさせると、前立腺にある癌だけでなく、転移した癌への効果も期待出来そうってことで、ホルモン療法となりました。
注射や飲み薬でも良いのですが、それだと通うのも面倒だし、費用もかかるってことで、「もう年齢も年齢だから、精巣を摘除する手術にするよ。」という義父の選択のとおりの方法で・・・。
でね、千代さんの入院については、義兄に知らせたって、連絡が来たこともないし、直接、病院へ顔を見せるなんてこともなかったので、ここ数年、知らせてはいませんでした。
だけど、今回、義父の手術もありましたし、進行性の癌で、それもかなり進んだ状態での手術でしたから、千代さんの入院のことと合わせて、義兄のパートナーに知らせました。主人がね。
だって、こういう人って、何かあった時、なんで知らせなかったんだ?とか、因縁つけてきそうでしょう?保険の受取りが、主人の名前になってるそうだしなおさらです。
だから、そういったことを防ぐためにも、一応、知らせておいたって感じ。
そう、一応。一応だけどね?自分の親が二人とも入院していて、しかも、義父は進行してる癌でってなると、普通、顔見せにくらい来ません?高齢の、義父の兄でさえ、新幹線に乗って、手術当日は来てくれました。
すっごくすっごく忙しくたって、連絡の一つくらいしません?世の中に、連絡すら出来ない忙しい人っています?トイレにも行かないくらい忙しいのか??
結局、手術の二週間前と直前に連絡したけど、手術前も当日も、もちろん手術後も、なーんにも言ってきませんでした。
そりゃ、両親それぞれと色んなことがあって、今でも許せない気持ちがあるのはわかります。だけど、そういうの抱えてて、それでも親の介護をしてる人は山ほどいます。
それにね、別に、私と交代して、二人の面倒をみてくれと言ってるわけじゃない。どうして、連絡すら出来ないのか。ほんとムカつく。
自分勝手な行動のせいで、私の時間を奪っているのが分かりませんか?息子たちですらしないことを、どうして私がしなければいけないの?
どうして、「お願いね。」とか、「ありがとう。」とかが言えないの?(ありがとうどころか、千代さんの家に住まわせてもらっていることに感謝しろと言われたことがあります。)
こうなると、普段は蓋をして閉じ込めてある思いがどんどん出てくる。
納得出来ない思いがいっぱいです。いや、義兄が、千代さんと同じような疾患(統合失調症や双極性障害など)を抱えていたとしたら?
うん、それだったら納得出来る。だって、千代さんと言うことやることが似てるもん。(多分、何か抱えているだろうなと思っています、ずっと)
そして、明日から、千代さんの外泊(今度は二泊三日らしい)が始まります。あー・・・、もうすぐ退院だぁ。